やがて静が小さく息を吐き、眉を下げる。ふっと微笑んで春花を見つめた。
「わかったよ春花。俺が毎日送り迎えする。そうしよう」
「でもそんなの……」
「迷惑じゃない。俺がしたいからするだけ」
「……甘えてもいいの?」
「むしろ恋人なんだから、もっと甘えてほしいんだけどな」
「えへへ……難しいなぁ」
静がそっと頭を撫でてやると、春花はほんのり頬を染めた。
恋人に甘えること、そんなことはドラマや漫画の世界でしか見たことがなかった。むろん高志に甘えたこともない。
毎日気を遣い高志の顔色を伺いながら生活をしていた春花にとって、他人に甘えるということは安易にできるものではない。甘えようものなら不機嫌になり、その場の気分で怒鳴り散らす高志に毒されていたからだ。
そんな春花が高志のモラハラから脱出したいとなんとか正気を保っていられたのは、静の音源があったからに他ならない。静の存在にどんなに癒され助けられたことだろうか。
それなのに恋人の静は、春花に「甘えてもいい」と言う。贅沢すぎる申し出に春花は萎縮するが、春花の意を汲み取った静は「いいんだよ」と優しく春花を抱きしめた。
暖かいぬくもりに包まれていると、すーっと心が落ち着いていくのがわかる。春花は戸惑いながらも、愛されていることを実感して胸が熱くなった。
「ところでさ、春花」
「うん」
「何で元彼のことは名前で呼んで、俺のことは未だに苗字なの?」
「えっ?」
「もしかして何も疑問に思ってなかった?」
「だって桐谷くんは桐谷くんで、なんか慣れちゃってて……」
「俺の名前知ってる? 静っていうんだけど」
「し、知ってるよ!」
「じゃあそういうことで、よろしく」
「……せ、静?」
「……」
「な、何か言ってよ。恥ずかしいんだけどっ」
口元を抑えて黙ってしまった静に、春花は真っ赤な顔で慌てて詰め寄る。
「いや……」
静は春花からふいと目をそらすと、
「……可愛すぎてどうにかなりそう」
とぼそりと呟いた。
「え、えええ~~~!」
お互い真っ赤な顔になりながら、恋人として一歩進んだことに胸をときめかせていたのだった。